中国歴史ドラマでは、事件が起きると大理寺という名の寺がよく出てきます。
ファンビンビン 范冰冰さん主演の『武則天-The Empress-』でも、宮中で范冰冰さんが襲われ、大理寺が不審死の調査を命じられました。
医術ができるお坊さんもいるから、毒に詳しい僧侶がいるのかな?
その後、ドラマで大理寺が登場する度に「いつもの捜査に協力的な(仏教の)寺」と思っていたのですが…
『三国志 司馬懿~軍師連盟』では、司馬懿が大理寺に連行され、牢獄に入れられてしまいます。
そこで「寺に牢獄?」「お坊さんはどこ?」「三国時代って、唐の時代よりずいぶん前…一体いつから大理寺はあるの?」という疑問がわき起こってきました。
調べてみると…大理寺は仏教の寺院ではなく、国の役所でした。
同じように仏教のお寺だと思っていた人がいるのではないかと考え、調べたことをまとめました。また大理寺が舞台のおすすめドラマ&アニメも紹介します。
この記事が、あなたのお役に立てばうれしいです。
大理寺とは
最高裁判所にあたる司法の最高機関で、審理・裁判だけでなく刑罰も行いました。
だから牢獄があったんだね
でも、なんで寺なの?
寺と呼ばれる理由
寺を中国語の辞書でひいてみました。
寺
出典:现代汉语词典 修订本
- 古代官署名:大理~|太常~ 。
- 佛教的庙宇:碧云 ~|护国~ 。
- 伊斯兰教徒礼拜、讲经的地方:清真~ 。
語義1:古代の官署(今でいう官庁・役所)の名 例:大理寺 太常寺
とあります。日本の漢和辞典では、以下のように記されています。
寺とは
寺:仕事をする場所が原義。中国で西域から来た僧に与えた役所が寺だったので、寺がてらの意となった。
(字義)
出典:角川漢和中辞典46版
- やくしょ。朝廷。官舎。
- はべる(侍)
- 朝廷のことにあたる宦官「寺人」
- てら「寺院」
お坊さんとの関係はそういうことだったのか!
大理寺の業務
主な業務:刑罰や収監を伴う事件の審理・判決
容疑者を収監する牢獄もありました。大理寺は重大な事件の裁判を行っていましたが、のちには再審を担当するようになります。
大理寺の具体的な仕事ぶりを知りたい方には、あとで紹介する漫画/アニメ『大理寺日誌』がおススメです。
大理寺の場所
大理寺はどこにあったのでしょうか?「もし今もあるのなら、行ってみたい!」と思い、場所を調べてみました。
場所が特定できたのは唐時代の大理寺だけでした。
大理寺は歴代王朝の都にあったので、もっと資料を探せばわかるのかもしれません。ご存じの方がいれば教えて欲しいです。
唐の時代に大理寺があった場所はこちらです。
西安市西挙院巷附近西門内西大街北側
西安市の中心に近いね。行ってみたいなぁ!
大理寺の変遷
簡単な年表を作ってみました。
西暦 | 首都 | 大理寺が登場する作品 | 日本 | |
漢 三国(魏) | 前 206-280 | 長安-洛陽 洛陽 | 三国志 司馬懿~軍師連盟 | 弥生 |
北斉 | 550-577 | 鄴 | 古墳 | |
唐 (武周) | 618-907 | 長安 唐大理寺遺址 洛陽 | (アニメ)大理寺日誌 宮廷恋仕官 風起洛陽 武則天 | 飛鳥 |
北宋 | 960-1127 | 開封 | 開封府 ~北宋を包む青い天~ | 平安 |
明 | 1368-1644 | 南京 北京 | 室町 | |
清 | 1616-1911 | 北京 | 徳川 |
漢~三国時代(BC206-280)
この頃は大理寺ではなく廷尉と呼ばれ、北斉(550-577)の時代に正式に大理寺となりました。『三国志 司馬懿~軍師連盟』では満寵が廷尉として活躍していましたね。
卑弥呼が魏に使いを送ったのが239年。その頃、中国は法で人を裁いていたのか…
唐(618-907)
大理寺が舞台になるドラマは唐の時代のものが多いように思います。
事件が起きると、容疑者(たいてい主人公の家族)は大理寺に送られ、その後は 牢獄→拷問→家族が賄賂を渡して面会…というのがよくあるパターンです。それだけ大理寺の役割が大きかったのでしょう。
日本は聖徳太子の時代~平安時代中期ごろだよ
唐の都は長安(西安)ですが、武則天の時代(684-705)は洛陽でした。
洛陽の大理寺の位置は特定できなかったのですが、洛陽には隋唐洛陽城遺跡があり、多くの建築物が復元されています。この中にあるかもしれません。洛陽に行ったら是非見てみたい場所の1つです。
北宋(960-1127)
都は開封。宋代は司法が発達し、逮捕・取り調べ・審議判決が分立していました(兼任は禁止)。
地方(臀杖20まで)⇒州(極刑以外)⇒中央(極刑が妥当なケース)
刑罰の重さにより審議が重ねられる現代に近い仕組みをもっていました。大理寺は中央であり、現在の最高裁のような存在だったのです。宋の時代から、大理寺に牢獄はなくなりました。
この時代は裁判が多く、包拯のドラマが有名ですね。包拯は大理評事をつとめていました。
その頃日本は平安時代で藤原氏が勢力を持ち始めた頃だ
明(1368-1644)
『大明皇妃』では、罪人は詔獄にいれられ、都で秘密警察のように走り回っていたのは錦衣衛でした。
大理寺はどうしたの?
『明の政治制度』:張徳信氏(中国社会科学院近代史研究所研究員)の関西大学での学術講演(陳建平さん訳)の中に明の司法制度についての項目があります。簡単にまとめると以下の通り↓
明の司法制度
- 刑部:大明律によって事件を審判
- 大理寺:刑部より犯人・関係書類・判決理由を受け取り、再審
- 《再審結果》刑部と同じ⇒刑部で刑を執行 結果が異なる⇒刑部に差し戻して再審させる
*都察院:刑部の審理の全過程を監督・大理寺の再審と駁正(誤りを正すこと)を監督
この3つの機関(三法司)は分立して仕事をしていて、重大事件は共同審理を行い、皇帝に最終決断をあおぎました。
慶余年のメンバーが再集結した『天地に問う』《原題:顕微鏡下的大明》で帥家黙が極刑にさせそうになった時に「上層部の許可なくできない」という制度のおかけで一命をとりとめるエピソードがありました
清(1644-1911)
清の時代の裁判制度で興味深いのは、極刑は必ず皇帝が詳細で膨大な資料に目を通し、判決をくだしていたという点です。
年間3000件もあったんだって!
大理寺は清の時代に大理院という名に変わりました。
(参考資料:中国伝統法による法解釈のあり方 著者:寺田浩明京都大学教授 『社会体制と法』第11号 2020.5.20発行 http://assls.sakura.ne.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/terada.pdf)
次に大理寺が舞台のおすすめドラマとアニメ・漫画を紹介します。
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