【中国歴史ドラマ】大明皇妃◇于謙(うけん)と石灰吟

炎 中国語学習
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この記事を読むとわかること
  • 石灰吟という漢詩とその意味
  • 中国の小学生が石灰吟を知っている訳
  • 石灰吟の作者・于謙について

私が石灰吟を知ったのは大明皇妃の于謙(うけん)初登場のシーンです。

動画上に‶石灰吟!”と弾幕が花火のようにあがりました。

私は中国の動画配信サービスYOUKU(优酷)で大明皇妃をみていたので、

中国人にとっては于謙(うけん)=石灰吟なのだ…と感じました。

弾幕とは:動画の上部に表示されるリアルタイムの視聴者コメントのこと

このブログでは「石灰吟の意味が知りたい」「石灰吟を暗唱したい」というあなたのために、石灰吟について調べたことを紹介します。

そして弾幕の謎を調査していると、中国人が石灰吟を知っている理由が分かりました。

于謙が石灰吟を作ったとされる同年齢(12歳)の小学6年生の国語教科書に石灰吟が載っているのです。

本記事では作者である于謙の生涯もまとめています。

詩の内容と重なるような于謙の生き方に心が揺さぶられました。

大明皇妃の最終回は涙、涙…で「于謙のための最終話?」と思ったほどです。

この記事の後半「于謙ってどんな人」はドラマのネタバレを含んでいます。知りたくない方は前半の「石灰吟とは」まで読んでくださいね。

石灰吟を暗唱したい方のために、おすすめのyoutubeをはっておきます。参考になればうれしいです。

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石灰吟とは

石灰の崖

明の時代の七言絶句。

作者は于謙(姚広孝という説もあり)。

石灰吟(原文)

千锤万凿出深山 qiān chuí wàn záo chū shēn shān

烈火焚烧若等闲 liè huǒ fén shāo ruò děng xián

粉骨碎身浑不怕 fěn gǔ suì shēn hún bú pà

要留清白在人间 yào liú qīng bái zài rén jiān

锤 chuí:かなづち ハンマー (かなづちやハンマーで)鍛える 打つ 

凿 záo:のみ、たがね(石を削る工具) (のみ・たがねで)掘る 

若 ruò:のようだ 

等闲 děng xián:あたりまえである 普通だ 

浑 hún:まったく

おすすめyoutubeはこちら。

石灰吟の意味

<拙訳>  

数えきれぬほど打ち削られ、深山より掘り出された石灰石

激しい炎に焼かれても動じることはない

身を砕かれることも全く恐れない

この世にけがれなき白さを残すため 

<一般的な解釈>

石灰石が採石され生成される過程を詠んだ詩。

「どのような困難にもくじけず、努力を惜しまずに志を貫く」

人生もまた石灰の生成過程と同じである。

石灰吟が詠まれた背景

幼いころから優秀で勉学に励んでいた于謙。

この詩を詠んだのは12歳または16歳といわれています。

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子どもの詩と言われればそうかも…。

素朴で力強いところがいいよね!

「採掘された石灰石が焼かれることにより真っ白になる様子をみた」という逸話が残っているので、その光景にインスパイアされて詠んだのかもしれませんね。

福岡大学人文学部の甲斐勝二教授の【研究ノート】于謙の石灰吟についてによると、中国において石灰は農業・衛生管理につかわれ、とても身近にあるものだそうです。中国における当時の石灰のイメージについて文献をもとに考察されていて、石灰吟を違った角度から味わうことができます。

興味のある方はこちらからどうぞ。

福岡大学・甲斐勝二教授【研究ノート】于謙の石灰吟について(福岡大学人文論叢50-1) https://fukuoka-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4451&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

石灰吟と小学生

朝日の中の本

中国では小学6年の国語の授業で石灰吟を学びます

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だからみんな知っているんだね!

これでYOUKU(优酷)の弾幕に「石灰吟!」とみんなが書き込んでいた理由がわかりました。

日本の小学生が6年生で枕草子の一節を暗記するように、

中国人にとって石灰吟は教養であり常識なのではないでしょうか?

石灰吟の内容が于謙の生き様と重なるため、多くの人の心に残り愛されるのだと思います。

国と民のために人生をささげ、自らの正義を貫いた于謙の生き方は

中国の小学生の心に強く刻まれたことでしょう。

中国の小学校の国語教科書でとりあげられているの特徴について書かれた興味深い論文を紹介します。各学年で学ぶ詩が教科書の画像と共に紹介されていて、読みやすいですよ。

読んでみたい方はこちらからどうぞ。

島根大学・足立悦男名誉教授と郭丹さんの共同研究『中国・小学校国語教科書の詩』(島根大学教育臨床総合研究. 巻, 6. 発行日, 2007-03-31)https://www.edu.shimane-u.ac.jp/_files/00035682/2007-9-kiyou.pdf

第1話冒頭の渉江采芙蓉の詩は高中2年の教科書に載ったことがあるそうだよ!

于謙(うけん)ってどんな人?

あなたは大明皇妃をみる前から于謙を知っていましたか?

私はドラマで初めて知りました。

高校の世界史で「永楽帝」は習いましたが、于謙や土木の変についての記憶がありません^_^;

中国で民族英雄と呼ばれる于謙はこんな人生を送った人でした。

注意)ここからはドラマのネタバレ要素を含んでいます。ネタバレが嫌な方は最終話を見てからお読みください。

于謙の生涯

于謙の一生を駆け足で紹介します。

  • 1398年5月13日生まれ(浙江省杭州市銭塘県:現在の上城区)
  • 1421年(永楽19年)科挙合格(23歳)
  • 1426年(宣徳元年)漢王の乱の平定で宣徳帝(朱瞻基)に功を認められる
  • 朱瞻基と三楊に一目置かれ、治水・食糧管理など地方政治でも手腕を発揮する
  • 正統帝(朱祁鎮)の代に太監・王振に賄賂をわたさなかったため、投獄される
  • 百姓や官吏、藩王(地方の王族)らが于謙の釈放・復職を訴え、復権する
  • 1449年(正統14年)オイラトのエセンが国境を侵犯 朱祁鎮が出兵し敗北、敵の捕虜となる(土木の変
  • 国を守るために奮闘 即位をためらう景泰帝(朱祁鈺)を「国家を考えてのこと。私利私欲ではない。」と一喝
  • 朱祁鈺の信頼を得て、政治・軍事に力を発揮 太上皇(朱祁鎮)の返還に成功
  • 剛直な性格と清廉な生き方朱祁鈺に重用されたことから嫉妬や恨みをかう
  • 1457年(景泰8年)奪門の変で朱祁鎮が復位する 
  • 于謙は投獄され、その月のうちに処刑された(享年58歳

于謙の生涯を調べてみると、大明皇妃では「史実にそって于謙は描かれている」ことが分かります。

于謙の生き方は欲にまみれた凡人にはできない稀に見る清々しさです。

人々に敬愛され、讃えられる理由の1つだと思います。

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徐有貞の占星術遷都の話も、喜寧の寝返りもフィクションじゃないんです…ビックリ。

孫若微と胡善祥がフィクション強めだから、他の部分も…なんて思っていました。

于謙の行いが成語になった:两袖清风

于謙の清廉な生き方は成語になっていました。

两袖清风 liǎng xiù qīng fēng 

【成語】官吏が清廉潔白であること(財を蓄えていないこと)

太監・王振が権勢を誇っていた頃、明の朝廷では王振への賄賂がはびこっていました

北京に来て奏上する際に一度も贈り物を渡さない于謙心配したある人がアドバイスします。

「金銀がいやなら、せめて土産でも渡した方がいい。まさか全く用意していないのか?」

すると于謙は両袖をひらひらさせて「只有清风」と笑いました。

このエピソードから 两袖清风 という成語が生まれました。

于謙が賄賂を渡さないので投獄されたエピソードは前述の于謙の生涯で紹介した通りです。

中国語学習者ならば两袖清风という成語を知っている人は多いかもしれません。

私はこの言葉と意味は知っていましたが、袖をひらひらさせた人物=于謙ということを全く知りませんでした。

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今、この成語にとても愛着を感じています♡

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于謙の妻は漢王の娘?

大明皇妃では漢王の隠し子である娘を託され、于謙はビックリしていましたね。

于謙が処刑された後、家探しにきた兵士たちを気丈に迎える妻子の姿には気品を感じました。

史実では翰林庶吉士の娘・董氏という女性で、 于謙との間に一男一女をもうけました。

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漢王の娘というのはフィクションだったようだ

他のドラマでは

大明皇妃の于謙のイメージが鮮烈に残っていますが、調べてみると他のドラマにも于謙は登場していました。女医明妃伝以外にも大明王朝1449にも登場します。(注 大明王朝1566ではありません)

女医明妃伝 于東陽

大明皇妃と登場人物がかぶるドラマ女医明妃伝

エセンが若かったり、王振が中年だったり、胡善祥が静慈太師だったり…と比較しだすとキリがない女医明妃伝

ヒロイン・杭允賢の父親と仲が良い于東陽が于謙なのだそうですよ。

于謙という名ではなかったので、全く気づきませんでした。(名字がそういえばで同じですね^_^;)

于謙ゆかりの地巡り

杭州の西湖

北京:于謙祠(忠節祠) 

于謙の居宅であった四合院です。

もともとは于忠粛公祠という名でしたが、1466年に忠節祠と名を改めました。

北京東城区西裱褙胡同23号にあります。

杭州:于謙墓・于謙祠(旌功祠)

浙江省杭州市三台山麓西湖烏亀潭のほとりにあります。

1489年に于謙墓のそばに旌功祠が建てられました。

1966年に文化大革命でお墓は壊されましたが、1982年に再建。

墓石には‶大明少保兼兵部尚書贈太傅謚忠粛于公墓”と刻まれています。

1998年の于謙生誕600年にあわせて修復されたお墓と旌功祠が公開されました。

西湖は風景が美しいだけではなく、西湖三傑(于謙・岳飛・張煌言)の墓や廟があり、歴史的な見どころもたくさんあります。

大明皇妃・聖地ツアーをするなら、西湖もぜひ加えたい場所です。

こんな感じでどうでしょうか?

  • (浙江省)横店影視城・西湖于謙墓・新昌大佛寺 
  • (江蘇省)無錫水滸城 
  • (北京)故宮・忠節祠・徳勝門・長城 
大明皇妃のロケ地・新昌大佛寺についての記事はこちら

まとめ

ドラマ・大明皇妃では于謙の辞世の句だった石灰吟

その意味は採石された石灰を生成する過程をうたった次のようなものでした。

叩かれ削られ激しい炎に焼かれても、石灰は粉々になることを恐れもせず、けがれない白さを保っている

それは石灰という石の姿ですが、一方で人間の生き方と考えることもできる…そんな詩です。

石灰吟は声に出してよむと、やる気がわいてくる不思議な力を持っています。

作者の于謙は明の時代の政治家で軍事・国内政治に長けた人物でした。

その性格は剛直で清廉蓄財を好まなかったと伝えられています。

作者・于謙の生涯を知ると、石灰吟の違う一面が見えますね。

シンプルな力強さと多面性が魅力的な石灰吟。

中国では小学6年生の国語の授業で石灰吟を学ぶため、みんなが知っている于謙の代表作でした。

「日本の漢文の教科書にも載せてほしいな」と個人的に思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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